消防操法の各要員さんは、今している自分の行動が誰のためにしているのかを考える必要があります。
今していることは他の要員のためを思ってやっているか?
例えばポンプ車3番員が吸管を伸ばし蛇籠を水槽に投入するにあたり4番員が補助をします。
この時4番員は自分が持っている吸管を操作して 3番員が水槽の角を狙って投入するときに角が狙えるように補助をします。
ただ単に持っている吸管を置くだけではないのです。
こういったことが各要員同士の連携する場面では必ずあります。
たとえ連携しない場面であってもその行動は誰かのためにしている行動なのです。
各要員さんはそういったことをもう一度考え自分は誰のために今この行動をしているのかを改めて考えると
その行動の意味がよくわかり操法も上達していきます。
なぜこうするのかが理解できれば 納得しますからね。
消防操法はほんとにくだらないのか?
よく操法は何の意味もないと言われることもあります。無駄だ、くだらない、などの意見もあります。
その団の雰囲気もありますが消防団員は制服を着た時は公務員です。
いくら少額であれ公的なお金を受けています。
いざという時は出動して市民の財産や人命を守ります。
その時なんの訓練もなしで迅速にそのような行動が取れるでしょうか?
操法訓練には消防団員の行動のすべてが詰まっています。
一人ではできないことも人数がいればできる。
ただ人が多く居てもその連携が取れていないと力が発揮できない。
消火時の行動はすべて操法の中にある。
規律は実際の現場では要らないが 規律をしないといけないと意識し行動がとれるということは
神経の集中が必用、また、緊張の中でもその規律ができるということは精神力の鍛錬になる。
神経を体中に張り巡らすということは 現場での些細な状況の変化にも気づき 市民の命、自分の命、仲間の命が脅かされるのも防げる。
団によってはこういったことが認識されず ただ単に操法をやっている場合は
無駄だ、くだらない、
となってしまうのもしょうがないと言えます。
たまに他の団との連合訓練などで見かけますが
制服のボタンを外しはだけた制服で(一番上はまあいいでしょうが・・) 帽子を斜めにかぶったりだらしなくしている団の方も見かけます。
それってかっこいいの?
って思ってしまいますよね。
そんな方たちが市民の負託にこたえることができるのか?市民の方たちはそれ見てどう思うのか?
消防の訓練は市民のためにしていること、その必用な訓練が凝縮されたのが操法だと私は思います。
訓練に出ないで自分のすることも分からず 現場に出動して何ができるというのでしょうか?
やはり訓練を積んで精神や体を鍛えいざという時に力を発揮できるように訓練は必要だと思いますし
操法訓練はその最たるものと考えます。
競技となっているのは 順位を付けることで切磋琢磨し上達させるのが目的かと思います。
そういったことをよく理解して操法訓練に臨むことが上達につながるのではないかと思います。